cinema vol.9 真の静寂とは?「自我」と「本質」を知り、自分に耳を澄ます。
記事公開日:2019.11.16
朝晩がしんと冷え込むと感じるようになった11/9(土)、mumokuteki cinema vol.9として
「静寂を求めて-癒しのサイレンス」の上映と、「“禅とは何か”お話と坐禅のワークショップ」を開催いたしました。
映画と栖賢寺の禅僧である宗貫さんのワークショップが絶妙にリンクし、映画の内容に更に深く踏み込み理解度を昂めることができた納得の1日となりました。
1回目の上映の後のワークショップにて、まずは坐禅をしてみました。
宗貫さんの鳴らすお鈴の音で静かに目を閉じれば・・
目が開いてる時に比べて自分の鼓動や周りの雑音など、感覚が鋭くなる、そして思考がおきる。
「頭に浮かんでも、それを考えないようにしよう!というのもそれを考えてるということになりますのでそのままにしておいてください。」と宗貫さんはおっしゃっていたが、頭をよぎることが雪だるま式に増幅していってしまう。
3分ほどの物理的静寂がお鈴で終了。
物理的な外的雑音などの音量に関わらず、心の声がうるさかった。
そんなことに気づけたことがまず大きな発見。
「坐禅を行うということは、特別なパワーを身につける!とかではなく“もともとの自分に戻っていく”、“【本当の自分=本質】に出会うこと”」
個々人の本質というものがまずある。
そして、物心がついた時から起きてる時間は朝から晩まで思考し続けており、【その思考/マインド=自我】が本質を覆ってしまっている状態の人が多い。
しかし、私たちはみな思考というものをしていなかった赤ちゃんの時から、どの人も何も変わってない。
本質はちゃんと消えずにそこにある。
思考することができるのはほぼ人間のみであろうという。ここまで生きてくるには本質だけでは生き抜けてこなかっただろうし、自我あってこそだ。
“どんどん工夫して、より良くしていこう!”
これこそが自分も社会も発展させてきた。
しかし、その自我の問題は“求めることをやめやれない”、“終わりがない”ということ。
生きるとは“永遠に求め続け解決しないことなの?”、“勝ち続けないと救われないの?”
と、生真面目な人ほどそんなことにいささか疲れて、辟易としていることだろう。
“そうではないはず”
ということを坐禅によって求めてみようということだ。
映画の中でも「真っ暗闇を進む唯一の道具は“感覚”だ」と言っていた。
自分の中でいろいろな雑音が大きくなってきている時、坐禅という方法で、只々自分の息をみてみる、耳を澄ましてみる、感覚を研ぎ澄ます。
そして本質を知ろうとしてみよう。
自我は意味をつけ、判断し、分析し、善悪を決め、整理整頓し、頑張ろうとする。
しかし、決めつけず、他人と比べず、心配せず、理屈を探さず。
弱くても強くても関係ない、あるがまま、縁のままにここにいて何の問題もないんだということを坐禅によって思い出す。
人間以外の世界はありのままで何も問題はないんだから。
かと言って、この日何度かチャレンジしてみた坐禅ではまだ何もわからない。
わかったのは自分の内側の雑音が大きいと言うこと。
坐禅とは何をもって「できた」と言えるのか?
それは回数を重ねるとわかってくるらしい。
“手をつけない幸せ”というのがわかる。
わかろうとすると遠ざかる、だから何もしない。
それらの相手にせずに、正解がわからなくても只呼吸に耳を澄ましてくださいと。
「泥水も、手をつけずに置いておけは美しい透明な水に戻ります。」
この例えがとてもわかり易かった。
参加者から『瞑想』、『坐禅』、『Meditation』は何が違うのか?どれがいいのか?との問いがあった。
「どの道からでもOK!これも縁ですから。今日をきっかけに坐禅をする人もいるだろうし、5年後に思い出してすることも、他の何かからでも“その人が幸せになれば”手段は何だっていい。」
そしてまた、「静寂が良い、騒音が悪い、というわけではなく、その判断を超越した時に本当の静寂があるのではないか。」ともおしゃった。
いつまでも参加者の熱心な質問が続き、そしてワークショップが終わった後もいろんな方と会話がうまれました。
達成すべきことが多すぎて静寂を求める時間がない、そんな現代社会。
だからこそ逆に『禅』や『YOGA』なんかが流行っている、そんな事情も納得できた。
忙しいからこそ、本質を取り戻す時間をとるべきなのだ。
普段なら、2回目の上映までのしばしの間にBGMをかけるところですが、この日は只差し込む木洩れ陽と静寂を感じてみました。
今日もたくさんのヒントと気づきをいただくことができました。
本当に自分が求めているものが何なのか?
ゆっくり自分に向き合い聞き直してみようと思えた有意義な日となりました。
この日、とてもわかりやすいワークショップをしてくださった宗貫さんのお寺、栖賢寺では以下の活動をされており、どなたでも坐禅を行うことができます。
今は、紅葉が美しいでしょうね。
ぜひ、足を運んでみてください。
・毎朝の坐禅会
・新月、満月の夜の坐禅会
・5〜7日の接心(集中的な坐禅修行期間)
・坐禅研修
・茶道体験、お茶会
・作務(ボランティア)
https://www.seikenji.org/about
※当 mumokuteki hall はどなたでもレンタル利用いただけます。
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